クラブシーンにおける「DJ」というカルチャーが誕生以降、長い年月を経てどれだけ拡散し、今やその定義すら曖昧になろうとも、その本質的な構図だけは決して変わらない。つまり、この文化とは99%以上の現状に甘んじるDJ=Followerたちと、1%未満の明確なヴィジョンを持った、シーンの未来を切り開くDJたち=新たなLeader、二つの人種のみによって構成されている。そして、DJ B=BALLとは紛れもなく後者。DJを通じて大阪から日本、そして世界へと、多くの人の心を揺るがすことのできる希有な存在だ。2000年代初頭より大阪を拠点に、なんら特別に恵まれた人脈も持たない「いちHIPHOP DJ」として始まった彼のキャリアに近道はなく、名もなきOpen Up DJから10数年、欧米、アジアでのDJツアーを成功裏に収めるなど活動のフィールドを劇的に拡大した現在に至るまで、その過程は決して平坦ではなかったが、常にクラブシーンの新たな刺激、潮流に着目し、日本人DJとしてのアイデンティティに拘り、己のセンスのみを拠り所に様々なジャンルを縦断、吸収。プロデューサー業もこなし、気の遠くなるようなトライ&エラーを繰り返しながら一歩ずつ着実に進んできた彼の道のりは、変化を恐れなかった表現者だけが手にすることのできる、気高いクリエイティヴィティに充ちている。著名DJコンペティションで日本王者に輝くなど幾多のタイトル、1 DJによるDJingの可能性を追求したクラブイベント「One Band」開催(2016年から毎年開催)、Amazon Primeの人気番組”DOCUMENTAL”オープニングテーマ曲提供、メジャー・アーティストの楽曲制作など、姿勢のみならず明確な「結果」を示し、純粋な音楽の力を武器に己の存在を証明し続けるDJ B=BALLの活動からは、常に昨日よりも進化し続けるDJカルチャーの未来を感じ取ることができるはずだ。
Text / Takeshi Urata
It’s been a long time since the “DJ Culture” in this nightclub scene has established.The definitions of the “DJ Culture” is ambiguous now DJ B=BALL has his own vision and leads the nightclub scene in Japan.
Started his professional DJ career in early 2000, the ideas and creativity he earned in Osaka made him DJ all over the world including The United States and lot of Asian Countries. He is always looking for something new for the scene and as a Japanese artist, He never stopped cultivating various genre of music.
He also organized One DJ only Party in biggest nightclub in Japan called “One Band”
Also he expanded his creativity into productions. DJ B=BALL makes beats under the name of DBB. He has been producing music for famous Amazon Prime program and major artists in Japan.
His spirit of inquiring music always makes DJ B=BALL progressive.